2014年3月13日木曜日

卵を食べた


この記事は、2013年夏頃の回顧録です。


何年振りかで卵を食べました。ご近所に烏骨鶏を飼っている方がいて、
コッちゃんが来たときエサを少し分けていただいたのです。だいぶ経ってから
そのお礼をしたら、そのお礼にと卵をくださいました。以前私は卵食べないから
と伝えていたのですが、すっかり忘れていらっしゃった様子。そらそうだよね。
わざわざ追いかけて来てくれて満面の笑みで手のひらの上に産みたての卵。
そのお気持ち、断れませんでした。


卵割るのも超久しぶり、ドキドキしながら割って混ぜて、畑でとれた絹さやと
炒めてみました。久々食べた卵の味は濃厚の一言に尽きる。

残りの2つは当時家にいた預かり柴犬のまいさんに、ゆで卵にしてあげたら
ペロッと食べちゃった。

帰国して、縁もゆかりもない田舎に住み始めて、こういうことが何度かありました。
家の前の持ち主の方が、お菓子を持って挨拶に来てくださったのですが、そのお菓子、
もちろん普通に乳・卵、そしてマーガリンやらいろいろ入ってます。
受け取る前からわかっていたけど、断れずそのままいただいて、でも他にもらって
もらえる人も当時いなかったし、捨てるのはもったいないし、で久々いただきました。

私たち夫婦の為だけに、わざわざ機会を設けて地区の説明をしてくださった際には、
お盆に市販のお菓子てんこもり。食べて食べて〜と薦めてくださって、断れず、
ミルク入りチョコやら数個いただく。夫は手を出さなかったけれど。

そして困ったことに食べると懐かしい味と感じたのです。

そしてそして、対人関係があることだけならまだしも、
懐かしさ&手軽さに魅かれて回転寿しにも行ったり。
外食での魚の出汁はいいことにしたり。

帰国後あっという間にヴィーガン生活崩壊。

かと思うと、ご近所に自分たちが肉・卵・乳食べないことを知ってもらいたくて
ヴィーガンのお菓子を持って行ったりでチグハグ。

尊敬しているベジタリアンの知人にそのことを話すと、
それは私が信念でヴィーガンだった訳ではなく、単なる食事制限だったから、と
指摘されました。

何を食べるか食べないか?と言うのは信念です。その時々で変えるものではないんです。 veganだから人より高尚なのではないですよ。ちゃんと信念を持って生きるから素晴らしいのだと思う。つまり、信念を持って動物を食べるなら、それはそれで立派です。私は肉を食べること自体が悪いとは思っていません。飼育の仕方と必要以上に殺すことに賛同できないだけです。自分で大事に飼育して必要なだけ殺して食べる人に文句は無いし、むしろ尊敬します。
他人に理解してもらいたかったら、一本ちゃんと筋を通さないと。そして、その筋が通っていたら、たとえ自分が違ったことをしていても、みんな認めてくれるし、どこに住んでも自分らしい生活が出来ます。

帰国早々自己嫌悪。信念じゃなかったのか。自分で自分のことすら分からず。
ヴィーガンヴィーガンと偉そうに言ってた自分が恥ずかしくなり、
穴があったら入りたい。でも、未だに相手の好意をバッサリ断るのが良いのか、
受け取りながら徐々に理解してもらうのが良いのかよくわからない。
これも所詮、断ると相手を傷つけるかもというよりは、
自分の印象がよくなくなるかも、という自己防衛なのかな。

お肉だけは何が何でも絶対断れるのだけど、それも勝手な話よね。
やっぱりご都合主義の食事制限なのか。



4 件のコメント:

  1. こんばんは。
    帰国後のご様子も、とても興味深く、自分と重ねながら読ませていただいております。
    ヴィーガンするにはアメリカより日本での方が難しいのでしょうか。

    線引きって難しいですよね。
    私も、まだ何を食べてよくて何がダメか、はっきりとは決めかねています。
    卵も自分の家族として鶏を飼って、その鶏が産んでくれた卵ならいただくことは悪くないと思いますし。
    私も養鶏場へ行って廃鶏をもらってこようか、以前から悩んでおります。
    コッちゃんの鳴き声はうるさいですか?

    本文最後の、自己防衛かについてですが、
    自分の印象がよくなくなるかも=ヴィーガン全体の印象がよくなくなるかも=動物のため、という面もあると思います。
    もちろん自己防衛もあり、先方のご厚意を無にしたくないという思いやりもあり・・・
    人間って、ちょっとずるかったり甘えちゃったりする心と、善い心が共存してるからおもしろいですね^^
    長文になってしまい、失礼いたしました。

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  2. nanaさん、コメントありがとうございます!私にとっては、ヴィーガン生活アメリカの方が断然楽でした。それは日本に居るときより関わる人の数が少なく、しかし文化的に容易に理解してくれる(ヴィーガンを、というよりは個人それぞれの生き方を)人は多かったので。そして何より、日本でそれまでよく通っていた思い出ある焼き鳥屋やお寿司屋さん、そこに一緒に通っていた友人たちと切り離されていたから楽にできていたのだと思います。でも信念であれば、それがアメリカであれ日本であれ、難易度は変わらないのでしょうね。ということはやはり私は…(笑)

    ヴィーガンという括りに自分を縛りつけ過ぎているのかな。ほぼヴィーガンというのもおかしな話よな、と自分でも思っています。動物性を全部避けるのが
    ヴィーガンなのに例外があってはその時点ですでにヴィーガンではないやん、と。生き方をもっと大きく捉えて、マクロビオティックを目指した方がいいのか。それともヴィーガンともマクロビとも何ともラベルをつけず、淡々とそのときそのときの状況に合わせて生きて行った方が自分が苦しくないのか。でも
    家畜・実験動物などについて問題提起するにはヴィーガンというラベルは便利でインパクトがあるし。そもそも動物に優しい世界だったらヴィーガンなんて
    わざわざ名前付ける必要もないのに、と周りの責任にして自分の身の振り方も決めれずです。

    コッちゃん、全然うるさくないですよ!不満時は、グワグワ鳴くこともありますが、それはそれで面白い。1羽2羽でも廃鶏がnanaさんのところで余生を穏やかに過ごせたら素敵ですね!

    私の場合、自己防衛ばっかりです(笑)言い訳ばかり考えてる。
    そうですね、私の印象が良い=ヴィーガンの印象も良くなる=動物の為になる
    これ、使わせてもらいます!

    長々と失礼いたしました。

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  3. こんにちは。新しいブログ始められていたんですね。うれしいです! この問題すごく難しいですよね。でも卵たべたから、魚食べたから、信念が無いというような単純なことでは無いと思います。生きていくうえで周りとの調和を優先したい場合もありますし、相手のことを思って自分がコンプロマイズすることもあります。私も日々葛藤しています。

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  4. shironekoさん、こちらもご覧くださって&コメントありがとうございます!
    以前、「ビーガン+プラス」という記事を書いていらっしゃったでしょう。
    拝読して、こういう考え方もありなんだ、と少し気が楽になりました。
    ありがとうございます。

    動物性食品は入っていなくとも、大量の砂糖や添加物等の入った食べ物を
    いただいた時にどうするか、こちらも日々葛藤中です。
    これやったら食べられると思って、とくださるとお気持ちを踏みにじりたくないけれど
    食べると体に反応が出ることが多くなってきたので。
    それにしても日本は市販食品のほとんどが添加物入りでびっくりしてしまいます。
    以前は全く気にせずにおいしー!と食べていたのですけどね(笑)

    チグハグだらけで自分のこともよくわからない私ですが、
    I am not perfect, but it is OK.

    使い方間違ったかな?

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