2014年3月9日日曜日

コッちゃん


この記事は2013年夏の回顧録です


週明けパートに行くと、近々絞められる予定の鶏が居たので
売ってもらって家に連れたのは8月の終わりだったか9月の初めだったか。
命の大切さを教える為に、イベント参加者の前で絞めて食べる予定だったそう。
やってきた廃鶏2羽のうち、週末すでに1羽は絞められ、
この鶏は来月の予定とのこと。

そらね、スーパーで買って何も考えないで料理して食べているけれど、
自分で絞めるのはできませんというよりは、人任せでなく自分の手で殺して食べること、
どんな風に殺されて肉になるのかを知ることは大事かと思います。
私はそれができないからもうお肉は食べません。
そんな今では滅多にない機会をなくすことになるけれど、
目の前に殺されようとしている動物がいるのをそのまま見過ごすことはできません。
アメリカで家畜動物の救出保護施設ファームアニマルサンクチュアリを訪れて、
屠殺を免れた家畜動物達がどれだけ幸せそうに暮らしているかを見ているので
この鶏にもそんな1羽になって欲しいと思いました。


売ってくださいとお願いしたら、単なる感傷やら自己満足やらと言われました。
全くその通り、私の単なる感傷で自己満足です。この鶏1羽を屠殺から救ったところで
何が変わるのか。寿命が少し延びるだけ?もしかしたら、この子が屠殺されるのを
見ることで、肉食を止める人が出て来たかもしれない。そちらの方が有意義?
でも、この鶏と私が出逢ったのもきっと何かの縁、助けたかったのです。

すったもんだの末、私の自己満足におつきあいいただき
コッちゃんはうちに来ることになりました。
うちには古い鶏小屋があったのでそこへ入れることができました。
帰国後間もなく母が家を見に来たときに、この鶏小屋どうするん?
と訊いてきたので、私は冗談で、屠殺される予定の鶏がおったら連れて来て
ここで飼う、と答えました。

それが数ヶ月後現実になりました。








2 件のコメント:

  1. 匿名の追加を有難うございます!!!!
    また新しくブログを始められて嬉しいです~♪
    鶏さん・・・もし私だったら同じ事をしていたと思います。勿論 今は環境ではないですし
    飼えるという前提で。飼った事はないですが殺されると聞いたら やはり
    放ってはおけません。偽善?周りにはそう思われるでしょうが理解してもらえなくても自分が納得できれば良いと思います。こういうのを一般の人からみると変わってるとおもわれるのでしょうが。。。(汗)
    スーパーのイベント・・・そんなのいらないでしょう?私の父は子供の頃 目の前で鶏が絞められるのを見て食べられなくなったのですが他のお肉は食べます。たくさーん何の躊躇いもなく食べます。目の前で絞められるのを見ても「怖かった」ぐらいで
    命の尊さまで全く理解してないんですよ。どうぜなら牛や豚さんを殺すところを見た方がもっと残虐だと思いますけどね。世界中で毎日どれ位の鶏が屠殺されているか知りませんが その中の一羽でも救われて良かったです。こっちゃん良かったね~

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  2. こちらこそありがとうございます!
    まー鶏も見てると面白いですよ。どんどん綺麗になっていくコッちゃんを見てると、よかったかなあ、と思います。
    ちなみに、パート先は、自然保護系のところでスーパーではないのですが、紛らわしい書き方してしまいましたね、すみません。そこのパートは今月で終了なのですけどね。コッちゃんに出逢う為に働いてた、てことにしとこう(笑)

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